ホームサイトマップお買物カゴ

北川村ゆずについて

北川村とゆず

「高知の柚子作りは北川村から始まりました。」

北川村
高知県は全国シェアの40%を占める柚子生産県ですが、その1/4が北川村で生産されています。
北川村の柚子の栽培は江戸時代に、当時の北川郷の庄屋見習、中岡光次(北川村出身の幕末の志士「中岡慎太郎」)が、 柚子を塩代わりに防腐や調味料として使おうと考え、村内に自生していた柚子の作付けを農民に奨励したことが始まりとされています。
その後、昭和40年頃に本格的なゆずの栽培が始まりました。当時は6ヘクタール程の栽培面積から始まり、現在村内では100ヘクタールを誇る全国でも有数のゆずの産地となっています。

実生と接木

北川村には実生と呼ばれる種から育てたものがあります。
実生の柚子は接木の柚子に比べて、香りが高く酸味も強めで栄養価の高いオリが沈殿したり浮いているのが特徴です。 県内でも実生の柚子を出荷しているのは北川村が一番多いといわれています。

中岡慎太郎とゆず作り

北川村には昔から柚子が自生していたようで、その栽培を奨励したのが庄屋見習い時代の中岡慎太郎でした。

中岡慎太郎
土佐では安政元年、翌2年と相次いで地震に見舞われ、江戸から呼び戻された慎太郎は、病気の父に代わり、農民のための色んな手立てをしました。
田畑を立て直し、山に木を植え、ロウを採るハゼとともに柚子を植えることを奨励しました。
飢餓になると、この山の中で農民が塩を買うこともおぼつかず、味噌や醤油も作れない。そこで慎太郎は柚子を塩代わりに防腐や調味料として使おうと考えました。
日陰で育つ柚子を家の裏や山すそに必ず植えることを推奨。今も山すそに柚子の古木が多いのはそのためです。
しかし慎太郎の死後、村ではその名を誰も口にすることはなかったとのことです。
郷土史家の故・前田年雄さんは言う「桃栗3年、柿8年、柚子はすいすい15年、柚子の大馬鹿18年とか言われ、なかなか実を付けん柚子を植える者は大馬鹿じゃと言われる時代になり、 いつの間にか慎太郎と柚子との関係も打ち捨てられてきた」

今、慎太郎が奨励した柚子が村を支えています。

北川村ゆずの歴史

北川村のゆずの栽培は江戸時代にさかのぼり、当時の北川郷(現在の北川村)庄屋見習の中岡光次(後の中岡慎太郎)が村内に自生していた柚子に目をつけ、農民に奨励したことが始まりとされています。

昭和40年
島・久江ノ上地区で転作の一環として7300本余り(約6.5ha)のゆずを新植。
昭和46年
ゆずの産地化にむけ、3年間で100haという計画の元、一挙に23haのゆずを新植。北川村農業協同組合にゆず部が発足し、共同出荷体制を整備。
昭和47年
ゆずの青玉出荷が始まると共に、村内10カ所にモデル園を開設。高知市の「ふるさとまつり」へ初参加し、本格的なPRを開始。
昭和48年
川島博孝氏が開発したゆず搾汁機が(社)高知県機械協会から発明コンクール賞受賞。ゆずの貯蔵システムについての研究を開始。
昭和49年
ビニールハウスによるゆずの試験栽培開始。ゆず果汁の品質向上に向け、北川村農協に大型搾汁機等を導入。
昭和50年
小島山菜グループが「ゆずジャム」「ゆずみそ」等の加工品を開発。農協が「土佐いなかゆず羊羹」が発明協会高知支部より優秀賞を受賞。
昭和51年
役場と農協が合同でゆずの作付調査を実施し、約100haの作付けを確認。
昭和52年
ビニールハウスによるゆず栽培を本格的に開始。
昭和53年
小島山菜グループのゆず加工品作りが認められ、全国農業コンクール全国大会で優秀賞を受賞。
昭和55年
北川村農協にゆず加工施設を整備。
昭和58年
北川村農協にゆす出荷場を整備。
平成 6年
ゆずの消費拡大を目指し、「ゆず王国復活フォーラム」を開催。自然農法ゆず生産者組合を設立し、無農薬栽培に向けた取り組みをスタート。
平成 9年
柚香グループによる「ゆずカリント」がむらおこし物産展で優秀賞受賞。
平成13年
北川村農業協同組合が合併し、土佐あき農協北川支所となる。
平成15年
土佐あき農協北川支所が「ゆず王国・はちみつゆず」を発売
北川村ゆず王国 ゆずぽん酢
北川村ゆず王国 ゆずしぼり
北川村ゆず王国 ゆずごしょう
北川村ゆず王国 ゆずサイダー
北川村ゆず王国 ゆず茶
しょうが蜜
スマートフォンサイトはこちら
お問い合わせ